【後から視聴可能】第92回(9/20)「関東軍の独走を生み出した背景」刊行記念トーク『関東軍: 満洲支配への独走と崩壊』ゲスト:及川琢英(おいかわ・たくえい)さん
- satokonagayamaroom
- 3 日前
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戦後・敗戦・解放80年特別企画Vol.10
聡子の部屋 第92回9月20日(土)19時から21時まで(あとから配信あります)
「関東軍の独走を生み出した背景」 ゲスト:及川琢英さん
日本は日露戦争を経て、関東州、南満洲鉄道といった満蒙権益を獲得した。1919年には日本陸軍の出先軍の一つとして関東軍が成立し、同権益保護の任に就いた。関東軍は中国の内戦に起因する混乱や権益回収要求に直面することになり、次第に日本政府や陸軍中央の統制を外れる動きを強めていく。1928年6月、田中義一内閣は、蔣介石に中国本部、張作霖に東三省を任せて南北妥協を図ろうとしたが、関東軍高級参謀の河本大作は、北京から奉天に撤退してくる張作霖を列車もろとも爆破し、東三省政権交代を図った(張作霖爆殺事件)。さらに1931年9月、同高級参謀の板垣征四郎、参謀の石原莞爾らは、日本の満蒙直接占領を目的に満鉄爆破の謀略を企て(柳条湖事件)、関東軍は若槻礼次郎内閣の方針に反して満洲国樹立に向け、邁進する。このような関東軍の独走はどのように生み出されていったのか。政軍関係や軍内状況など7つの背景から考察する。
<ゲスト>及川琢英(おいかわ・たくえい)さん 北海道大学大学院文学研究院共同研究員/日本近現代史
北海道大学大学院文学研究院共同研究員、星槎道都大学兼任講師。博士(文学)。専門は日本近現代史。著書に『帝国日本の大陸政策と満洲国軍』(吉川弘文館、2019年)、『関東軍――満洲支配への独走と崩壊』(中央公論新社、2023年)。

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